薄暗い明かりに照らされた、小さな部屋に、二人の影があった。
あまりにも長すぎる黒髪を、ソファーの上に広げてくつろぐ青年と、同じくソファーに腰をかけた、少し長めの髪を、頭の後ろでまとめた茶髪の青年。
小さなテーブルを挟んで、けれど向かい合うわけでもなく、やや斜めにずれた位置で、グラスを揺らしている。
穏やかな沈黙に支配された部屋の中に、ほんのりと酒気だけが漂っている。
互いに何も言わず、目も合わさず、けれどそれを不快に感じている風も無く、ただだらりと、琥珀色の液体をあおっている。
カラリと、グラスの中の氷の音が響く。
いつまでも続くと思われた静寂はしかし、黒髪の青年の唐突な言葉によって、破られた。
「ある所に、一人の男がいた」
話を始めたというよりは、語り始めたと言った方が正しいかもしれない。
茶髪の青年といえば、そんな黒髪の青年に、特に驚くわけでもなく、ちらりと視線を向ける。
もしかすると、彼のこんな突然の語りにも、なれているのかもしれない。
「彼はいつも喧騒の中にいた」
茶髪の青年は、自分が聞いているかどうかなど、気にした様子も無く続けられる言葉に、邪魔するわけでもなく、けれど催促するわけでもなく、静かに耳を傾ける。
「平穏や、静寂という言葉が、幻想なんじゃないかと思える程の、感情の雨の中に。
常に降り注ぐ誰かの言葉が、彼の全てを強引に捻じ曲げていた。
押し付けられ、流されるだけの生。
彼はそんな世界に、とうの昔にうんざりしていた。
ねえ、そんな時、君ならどうする?」
ふいに話題を振られた茶髪の青年は、綺麗に整った眉を歪ませて、小さくうなり声を上げた。
「そりゃお前。
我慢するか、いちいち指図されない状況を作るしかないんじゃないか」
そんな茶髪の青年の言葉に、長い黒髪の青年は軽く微笑むと、そうだねと小さくうなずいた。
「けれど、何をしても言葉は彼につきまとった。
耳をふさいでも、さえぎる事なんで出来はしなかった。
男はただ、終わらせたかった。
静寂を夢見ていた。
自ら静寂の中へ進むことが出来ないなら
取れる行動は、あとひとつ」
「まさか、原因を全部つぶして回った。
とか言うわけじゃないよな」
「そのまさかだよ、アラン
彼は、音の原因。
つまり声を発する、世界の全てを消して回ったんだ。
ひとつ、ひとつ。
丁寧に。
あますことなく」
そこまで言うと、黒髪の青年は言葉をとめ、グラスの中の琥珀色の液体を、くるりくるりと回し始める。
奇妙な沈黙が落ちたが、黒髪の青年はどこと無く、その沈黙を楽しんでいるようにも見えた。
「……で、そいつどうなったんだよ」
一向に続きを話そうとしない黒髪の青年に、痺れを切らせたのか、茶髪の青年――アランは、催促の言葉をかける。
それに対して、黒髪の青年は小さく笑うと、誤魔化すように違う話を始めた。
「ねえ、アラン。
君はこういう経験はない?
君は小さな部屋の中に居て、そこには沢山の人間も同時に存在している。
その中で、唐突に通信機器の呼び出し音が響く。
沢山の人間がいるから、誰のものかわからない。
いつまでも鳴り続く音に、嫌気がさした君は、外に出て、ようやく気付く」
そこまで言うと、黒髪の青年は初めてグラスから顔をあげ、アランに顔を向ける。
小さな明かりに照らされ、暗緑色の瞳が冷たく暗い光を放っている。
いつもと同じ、温度のない瞳。
見慣れたはずの物なのに、どことなく薄ら寒いものを感じ、アランは無意識に眼をそらした。
そして、考える。
部屋の外に出た"男"が、なにに気付いたのか。
「そいつ、どうなったんだよ」
答えに気付いたのだろうか。
アランは、後味の悪そうな顔で、再び同じ言葉を返す。
けれど、きかれた青年といえば
「さぁ、どうなったんだろうね」
と、うそぶくばかり。
不満の声をあげるアランに青年は、グラスの中の液体を一息に飲み干すと、そんな事より、と空の酒瓶を降ってみせる。
そんな青年の様子に、"結末"を聞くことは出来そうにもないと判断したアランは、深くため息をつくと、小さく悪態をつきつつも、席を立つのであった。